施餓鬼会
(せがきえ)
毎年5月25日
「おせがき」は、「
その由来は、『
それによると、釈尊の十大弟子の一人である、
阿難尊者は、釈尊に言われた通りに食べ物を供え餓鬼を供養した功徳によって、無事に救われました。
施餓鬼会はこのように、釈尊に教えを請い、寿命を延ばすことのできた阿難の説話にもとづく行事であり、その求めに応じて釈尊が示された修法が施餓鬼会のはじまりとされています。そして餓鬼だけでなく、新亡の霊や先祖代々、広くは無縁の
ぜひこの施餓鬼会の機会に、心からお念仏を称え、自他ともに救われる功徳を積んでいただきたいものです。
本来、施餓鬼会の期日は定められていませんが、お寺の年中行事のひとつとして、お盆の頃におこなわれることが多く、施餓鬼棚に「三界万霊牌」や初盆の戒名を記した位牌を置き、浄水や食物を供え、五如来の「施餓鬼幡」を立てて法要を営むのが習わしです。
お十夜
毎年10月25日
昔から「お
最初は、平貞国が15世紀の永享年間(1429~1440)に、真如堂で一心にお念仏をとなえたのに始まり、年中行事として真如堂だけで行なわれていました。それが貞国が始めてから約60年後の明応4年、後土御門天皇の代に、鎌倉光明寺第八世祐崇上人(1426~1509)が、天皇に、光明寺でも十夜法要を営みたいと懇請して勅許を得、お勤めすることになり、以来、天台宗、浄土宗の多くの寺院で勤めるようになりました。特に関東では、鎌倉の光明寺、八王子の大善寺、鴻巣勝願寺のお十夜を、三大十夜といいます。
このように当初は十日十夜だったのが、時代とともに、三日三夜、一日一夜となり、或いは一日のみ、又は一夜のみと、お寺により期間は短縮され、期日も10月から12月に亘りまちまちになったのであります。
この「お十夜」は、『無量寿経』に「この世で十日十夜善いことを励むことは、極楽浄土で千年善いことを積むよりも優れている」(「『浄土三部経』岩波文庫」岩波書店)と説かれているのを典拠としています。それ程に、この世は善根を行い難い世界で、この修行困難な所でお念仏を口にだして称える事によって、阿弥陀様への報恩感謝をし、一方自分が将来極楽浄土に往生する為の善根を貯蓄しようという、二つの意義ある法要であります。更にはこの法要に因み、私達の善根を、志す所の亡くなられた方々に振り向けて冥福をお祈りする、という大切な法要であります。
お盆
毎年7月13日〜15日
お盆は、
その由来は『盂蘭盆経』という経典が元になっています。このお経によりますと、お釈迦さまの十大弟子で「神通第一」といわれる目連さまが、ある日、亡くなった自分の母親のことを神通力を使って見ていると、なんと母親は餓鬼の世界に落ちて、絶え間のない苦しみにあえいでいました。大変驚いた目連さまは、お釈迦さまのところへ行き、どうしたらよいかをすぐに相談しました。するとお釈迦さまは、「90日間の雨季の修行を終えた僧たちが7月15日に集まって反省会を行うから、その人たちにごちそうを振る舞い、心から供養しなさい」とおっしゃりました。言われた通りにすると、目連さまの母親は餓鬼の苦しみから救われ無事に餓鬼道から抜け出ることができました。
お釈迦さまはさらに「同じように、7月15日にいろいろな飲み物や食べ物を盆にもって、仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によって、多くのご先祖が苦しみから救われ、今生きている人も幸福を得ることができよう」とお説きになりました。
これがお盆の行事の始まりです。
お盆には精霊棚を飾ってご先祖をお迎えし、自宅に僧侶を招きお経をあげ(棚経)、また菩提寺へ行って御本尊様やお墓をお参りして、多くのご先祖を心からご供養いたしましょう。
春彼岸法話会/秋彼岸法話会
春分の日/秋分の日
春と秋に迎えるお彼岸、それぞれ春分の日、秋分の日をお中日として前後三日を合わせての一週間を彼岸といいます。そしてこのような形態でお彼岸が行われるようになったのは聖徳太子の時代からといわれています。平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化されたといいます。
彼岸について浄土宗では、善導大師(浄土宗において宗祖・法然上人に勝るとも劣らない重要な僧侶)の著書『観経疏』の「日想観」がこの行事を営む根拠となっています。
「日想観」は「にっそうかん」と読みます。この「
お彼岸とはこの
他に、3年に一度を目安に団体参拝旅行があります。